行動する仏教の実践者
先日、慶應SDMヒューマンラボ主催の「コンパッションとリーダーシップ」ジョアン・ハリファックス博士との対話 というシンポジウムに参加しました。
ジョアン・ハリファックス博士は、禅僧でEngaged Buddhism(エンゲージド・ブディズム 行動する仏教)の指導者・実践者。ハーバード大学の名誉研究員で文化人類学者でもあるそうです。
Engaged Buddhismとは、仏教の教えや瞑想などの実践をもって、世の中で苦しい立場に置かれている人たちのために活動する人々のことを指す言葉。こちらには、ベトナムの禅僧ティックナットハンが提唱したとも書かれています。
シンポジウムの副題には「燃え尽きを防ぎポテンシャルを引き出す叡智」とありましたが、主宰者からの挨拶が終わり、講演が始まると、ハリファックス博士は、「今日は希望について話をします」と宣言しました。
希望とはなにか
ハリファックス博士は若いころはマーチン・ルーサー・キング牧師に影響され、市民権運動の活動をしていました。世界的に有名になった「私には夢がある」というスピーチでもわかるように、彼は実現したい社会に対するビジョンを持ちながらも最後には暗殺され、ハリファックス博士は、「以前は希望という概念に対して相容れない思いもあった」と語りました。
その後、長年にわたって、博士はいわゆる”hopeless”な(望みのない)状況で働いてきました。彼女が仏教の教えや瞑想をもって行ってきたのは、殺人の罪に問われ死刑になるのを待つばかりの囚人たち、治る見込みのない難病を抱えた人々や、彼らをケアする人たち、そして国を追われ行き場のない難民といった、非常に困難な立場にある人々に寄り添う仕事です。
そういった状況で働くなかで見出す「希望」とはどんなものでしょうか。
”Hope”という言葉を定義するにあたり、彼女は「希望ではないもの」について話し始めました。
通常であれば、希望とは「~だったらいいのに」とか「~を手に入れたい」といった欲望を意味します。でも、裏を返せば、欲望が満たされないときに人は不幸を感じるでしょう。
こういった一般的な希望は苦しみのもとだ、と彼女は言います。(“Ordinary hope is a form of suffering”)
希望とは、「楽観的になること、つまりすべてはきっとうまくいくと思うこと」とは違うのです。(”Hope is not optimism”)
Wise Hope = 叡智ある希望
前述のような通常の希望に対して、彼女はWise Hopeという概念について語りました(日本語では「叡智ある希望」と訳されていました)。
Wise Hopeは「すべてがうまくいくと思う」ことではなく、その時点では私たちが知り得ない事に対してオープンであること、そして永遠に驚かされ続けることを受け入れるということです。その、ありとあらゆる可能性を受け入れる行為のなかに希望はあるというのです。
行動する仏教徒の間ではこれは “active hope”とも言われるそうです。
行動した結果がどうなるかはわからない。ただ、何かが変わるということは確かである。
私たちが置かれている状況について行動を起こすことには意味がある。ただ、それがいつ、だれにとって、どのような意味をもつのかはわからないかもしれない。
そして、私たちにできることはいつでもどんな状況においても、Show Up、つまりそこに姿を見せること。そこにいつづけることだ、と言っています。
Doing Something
この講演は、アメリカで中間選挙が始まる日の前夜に行われ、ハリファックス博士もその選挙に言及し、現大統領の元でアメリカがどう変わってしまったかを憂う言葉もありました。
アメリカの状況を引き合いに出すまでもなく、世界には問題が山積みです。そんな中で個人ができることはあまりにも小さく思えてしまい、無力感にとらわれるのは本当にたやすいことです。
現に、自分ひとりが何をしても何の足しにもならないと、はなからあきらめてしまう人も多いでしょう。私がかつて国際協力の現場で働いていた時にも、このような気持ちになったことは何度もありました。
ここで博士は、Daniel Berriganというイエズス会の司祭で平和活動家だった人の言葉を紹介していました。
One cannot level one’s moral lance at every evil in the universe.
There are just too many of them.
But you can do something,
and the difference between doing something
and doing nothing
is everything.(世の中のすべての悪と戦うことはできない、それはあまりにも多すぎるから。それでも、少しでも何かをすることはできる。
何らかの行動をとることと、何もしないこと ー その違いがすべてだ
叡智ある希望と楽観主義との違いは、後者は「すべてはうまくいく」と思い込むこと。そして、前者は、(行動の)結果がどうなろうとも、何かしらのことが明らかになることだ(“Certainty that something will make sense, regardless of how it turns out”)、と博士は強調していました。
現在の積み重ねが未来を創る
講演は英語で行われ、逐次通訳の方が日本語で内容を伝えていました。
全体を通してとても勇気づけられるような素晴らしい内容で、悪天候を押して会場に足を運んでよかったと思いました。後半は幸福学の前野隆司教授との対話もあり、こちらもとても面白かったです。
博士の言葉で国連で働いていた時のことを思い出したり、現在の仕事を通して出会う人がときとして、物事がうまくいかないことに絶望してしまう状況に思いをはせたりしつつ、この”Show Up & Do Something”というシンプルな教えは、いろいろな場面でエネルギーを与えてくれる考え方ではないかと感じました。
講演の締めくくりには、ハワード・ジン(アメリカ人の歴史家)の言葉が引用されていました。
“The future is an infinite succession of presents,
and to live now as we think human beings should live,
in defiance of all that is bad around us,
is itself a marvelous victory.”
ハワード・ジンは「民衆のアメリカ史」という有名な本を書いた人でもあります。
希望がないように思える状況でも、どんなに些細なことでもできることはまだあること。そして、どんなことも起こり得るという認識と、自分の行動には意味があるという強い信念をもって生き続けること…
アメリカの歴史のなかでも暗い時代のひとつと言ってもよい現代を生きる私たちに必要なメッセージを、同じアメリカから来た禅僧のハリファックス博士から受け取りました。来年には日本語訳も出版される予定の彼女の著書“Standing at the Edge: Finding Freedom Where Fear and Courage Meet”も読んでみたいと思います。