「通じるはずだ」という思いこみ
養老孟司さんと名越康文さんの対談をまとめた本「『他人』の壁」を読みました。
「話せばわかる」というのは幻想にすぎず、人のことはわからないという認識を受け入れると楽だ…という話から始まり、高度に意識化されてしまった社会では何が起こるか、というところに展開していきます。
後半ではアメリカのトランプ政権の出現から、グローバリズムの「壁」ということにも言及されていました。
また、男女の違いとして、女性は身体に基づいて無意識に行動するのに対して、男性はより頭でっかちで意識中心だから抽象的なものにとらわれがちだという一節がありました。男性のほうが、感覚を使わない、脳化された世界で働く時間が長いからだと名越さんは言っています。
脳化された社会の弊害
無機質な会議室などのような環境にずっといることで、感覚が鈍っていく、だから外に、自然に出ていく必要がある、というのはこの対談を通じて何度もでてきます。
第3章の「『意識化』と『脳化』がもたらした弊害では、すべてのものに意味を与えようとする過程で、意味がないと思われるものを排除するのが現代の「脳化(意識化)」されすぎた社会だと書かれています。
例えば養老孟子さんの趣味でもある「虫探し」。外国に出かけて自然の中に入り、虫を探す。このことに意味があるのか?と言われれば、別にないけれど、意識化できないことから学ぶことも多くある。
でも、自然の中に行きなさいと言うと、「それをやると、どんないいことがありますか」「具体的な効果は」などという質問をされるのだそうです。意味を求めすぎる人は、あらかじめその行動にどんな意味があるかを示されないとやってみようとしない。これが、脳化されすぎた社会の弊害だ、とおふたりは語っています。
コストパフォーマンスで語られる結婚や子育て
結婚して子どもを育てるというのは損なことばっかりで、コストパフォーマンスもよくないと感じる人が増えていることについて、おふたりは、社会全体がなんとなくそういう価値観で包まれているから、と言っています。
自然の中で感じ取る社会ではなく、脳で考えて作る社会になり、合理的かどうか、損得は、ということが大事になってきているのです。
特に印象に残ったのがこの一節です。
世の中が「意識化」すると、人の相手を見る目が喪失するんですよ。目が濁る。
感覚で感じられなくなるから。(中略)
だから、「脳化」や「意識化」は、社会から個性をも喪失する危険性をはらんでいる。
私のところによく寄せられるご相談のひとつに「好きになれる相手がいない」「いい人がいない」というものがあります。
この一節を読んで、こういった悩みをお持ちの方は、「こういう人が結婚相手にふさわしい」という部分での意識化をされすぎていて、感覚が閉じているのかもしれないと感じました。
感性を磨き、自分という作品を創り上げる生き方
本書の対談全編を通して、おふたりは「場を変えること」や「森や山に行くこと」が大事だと言っています。
無機質なところにばかりいるのではなく、コントロールできない、意味がないように思われるものに包まれる体験や時間をもつことで、少しずつ感覚が戻ってくるのです。
相手のことを知るとか、気づくということをするためには、最終的には感性を磨いていくほかはなく、自分の人生をひとつの「作品」ととらえる考え方が大事だと、養老孟子さんは説いています。
他人をわかろう・わかりたいという話をする前に、自分の人生作品という考え方に向き合ってほしい。それを模索するようになれば、生きる意味が変わるし、人生が何倍もおもしろくなる…
婚活がうまくいかなくて悩んでいる人に、ぜひお薦めしたい一冊です。