恋人の将来を奪う行為
カナダでトップクラスに入る若いクラリネット奏者エリックは、ロサンゼルスのコルバーン・スクールから奨学金のオファーを受けました。このスクールの教授でもある、高名なクラリネット奏者のもとで学べる2年間のプログラムのためのオーディションに合格したのです。
奨学金は学費だけでなく住居費や食費もカバーしており、お金の心配をせずに彼のもとで学べる素晴らしい機会でした。
でも、彼が当時一緒に住んでいた恋人が勝手に彼のメールにアクセスし、オファーのメールを削除する一方で、別のメールアドレスを作ってエリックになりすまし、このオファーを断ってしまいました。
一連の事件の詳細はこちらから読むことができます。
”Despicable Act”
彼女の行為の結果、彼は自分が奨学金を受けることになったと知らないまま(そして失意のまま)、地元の大学に進学。結局のところ、恋人は彼に遠くに行ってほしくなかったのでしょう。彼女も同じ大学に通っていたそうです。
記事では、どのようにしてこの嘘がばれたのかは書かれていませんが、奨学金の機会が失われてから2年後、エリックは恋人に対して訴訟を起こしました。
裁判官は彼の訴えを認め、元恋人に対して多額の損害賠償が請求されるという結果になりました。判決は恋人に対して「彼のキャリアを阻む卑劣な行為」と断罪。また、奨学金を受けていたら彼が学ぶことになったはずの教授からは「エリックは将来を嘱望された若者だったのに、卑劣な行為の犠牲者になって本当に残念だ」というコメントがありました。
境界線を尊重しない人
この一件からは、いろいろと学ぶべきことがあるように思います。
自分の将来がかかっているような大事なオーディションの結果がメールのみで送られてくるというのもどうなのだろうという気もしますが、その点を抜きにしても、恋人のメールに勝手にアクセスしたり、本人になりすまして奨学金を断るというのは、あきらかに「恋人がやっていい範囲」を超えています。夫婦や親子の間だってこれはNGでしょう。
彼女の行動は「愛のため」という見方もあるかもしれませんが、彼に遠くにいってほしくないためにせっかくの機会を奪うのは、相手を愛しているというよりは、所有しようとしているかのようです。
人と人との境界線=バウンダリーという概念がありますが、自分と相手が別個の人間で、別の人生がある、ということを認めていないと、バウンダリーをひくことに抵抗するようになります。
普段からパートナーのプライベートな領域に断りなく入っていってしまうことで、いつしかその境い目がわからなくなるのかもしれません。
今のパートナーとの関係において、お互いにこういったことは起こり得ないという信頼関係があるかどうか、またお互いにやりたいことを応援できるかどうか、少しでも不安なことがある人は考えてみてください。