W杯開始2か月前の監督交代
日本中の多くの人が、観戦したり応援したりしていたサッカーのワールドカップ。先日のベルギー戦で惜敗し、ベスト8進出はならず、日本代表チームの挑戦は幕を閉じました。
今回はロシアでの開催で、試合開始時間が日本の深夜や早朝になることも。対ベルギー戦は午前3時からの試合開始だったので、ともかく終わってほっとしたという人もいたかもしれません。
午前3時に頑張って起きて観ていたという友人と話していたところ、「W杯の2か月前に外国人から日本人の監督に交代になってこんなにチームがまとまったのは、言葉の問題が解消されたことも大きかったのでは」というコメントをしていました。
公式には「コミュニケーション不足」「選手との信頼関係が薄れた」というのが前任の監督が解任された理由になっています。実際のところはどうなのかは現場の関係者のみぞ知るということだと思いますが、言葉の問題を含め、文化的な壁は多少なりともあったのかもしれません。
外国語で思いを伝える難しさ
国際恋愛をしている友人は、日本人の監督に変わったことで、言語面でのバリアは少なくなり選手がやりやすくなった面はあったのではないか・・・というコメントのあと、「自分の本当の気持ちを言葉で伝えることはなかなか難しいから」とつぶやいていました。
私がご相談をお受けする国際結婚カップルの場合も、細やかな気持ちのニュアンスを外国語で伝えることにそれなりのチャレンジを感じていることがあります。
以前、結婚式1か月前に喧嘩が絶えなくて、もう自分たちはダメなのではないかとまで思いつめていたカップルのセッションをしたことがありました。
おふたりに、日本語と英語ぞれぞれで話しかけ、気持ちを聞いていきましたら、アメリカ人の男性のほうから「こんなにクリアに説明されたことはなかった。彼女の気持ちがよくわかった」と安堵の表情とともに言われたことがあります。
気持ちを伝えあうというのは同じ日本人同士でも簡単ではありません。
そこに外国語というまた別のハードルがあると、知らず知らずのうちに「これはうまく説明できない」とか「こんなもんでいいか」という風に、ある意味あきらめてしまうこともあります。
便利に使われる「文化の壁」
そのうちに「〇〇人はこうなのだから仕方ない」「言ってもわからない」という結論になり、そこで思考停止してしまう、ということも起こり得ます。
時にはこの「文化の壁」が、コミュニケーションをあきらめる便利な言い訳に使われることも。
相手の文化的背景を深く理解して「受け入れる」「許容する」、そしてそれらを含めて相手を愛する、というのであればそれはポジティブなあきらめとも言えるでしょうが、口では「文化が違うのだから仕方ない」と言いながらも相手の言動に対する不満を募らせているのでは、先日の記事にも書いた「縛るコミュニケーション」になりかねません。
先日の記事の「飲み会格差」の例でも、「飲み会に行くのは当然、パートナーには通達のみという文化」「飲み会に行くためにパートナーに依頼&調整が必要な文化」のぶつかりあいということもできます。
ここで「どうせわかってもらえないから」と口を閉ざし、内面で怒りを抱え続けることが、結果的にカップル全体の幸福度を大きく下げてしまうのであれば、やはりコミュニケーションをあきらめるのではなく、お互いがまあまあハッピーになれる道を模索し続ける方が良いのでは・・・と思います。
ひとりの人と愛情に基づいた深い関係を築くということは、時には言いにくいことを言ったり、自分の(あるいは相手の)あまり好きではない面と向き合うことでもあります。それでも、その行為には意味があると信じて、あきらめずにトライし続けた時に、パートナーシップがより深まるのではないでしょうか。